1年目、お世話になりました。

2012/12/26
今年は、明日で営業を終了させて頂きます。

本年は、コスミック・ガーデンに入社して色々とありましたが、

お声掛け下さったお客様、温かく迎えて下さった協力会社の皆様、社内の皆様、

本当にお世話になり、ありがとうございました。

 

ブログにも社員だか施主だかわからないようなネタを色々と

書かせて頂きましたが、様々な反応やご意見を頂きありがとうございます。

ブログの写真の背景も黄色で、メンバー的にも黄レンジャーのような

位置づけになるかと恐れていますが(カレーは好きですが)、

今年最後の記事は、真面目な内容にさせていただきます。

 

今年8月に入社した私ですが、その前の7月は家族のおかげで

一人の時間をもらったので、東北の被災地に行ってきました。

 

ボランティアしたわけでもなく、1日だけ被災地を回るツアーに参加しました。

現地ボランティアの方が案内して下さったのですが、参加者が4人と少なかったので、

通常なら2日くらいで回る行程を一気に回り、沢山の被災地の状況を見ることができました。

#「何か感じる所があるかも」と思い行くことを決めたので、

お叱りを受けるかもしれませんが、本当に「見てきただけ」です。

 

このバンで丸一日走り回ってもらいました。

 

下は、仙台駅前です。

他の地方都市と変わらない、「普通の雰囲気」なんだなぁと思いましたが、

街中を抜け、海岸近くまで走ると、突然「被災地」になりました。

 

海岸に近い住宅の大半が流された南三陸町に始まり、石巻市、女川等

被災地の状況に、絶句しました。

まだ瓦礫が残っているところも多かったのですが、被災当時の状況を思うと、

言葉がありません。

下記は、南三陸町の高台から撮影した写真です。

 

南三陸町の被災した場所には、いわゆる民家は再建されていませんが、

仮設で商店街が創られていました。

ボランティアの方のお話では、家を流されたり、目の前の津波から逃げて助かったり、

大切な方を無くされた方々等がお店をされているとのことで、人間の強さと言うものを

思わずにはいられませんが、ここで軽く書くこともできないような気持ちです。

タコとウニがうまいよ!!ということで、ウニ丼を頂きました。

本当においしかったです!!(タコが甘い!!)

 

そして、「語り部」の被災者の方から話をお聞きしました。

(断ってビデオを撮らせて頂きました。)

0歳のお子さんを抱えて避難し、自宅は津波に流され、仮設住宅で生活しながら

現地ボランティアのリーダーをされている工藤さんという方です。

 

このお話は是非多くの方に聞いていただきたいのですが、ここに動画をそのまま

載せるのは少し差し支えるので、10分ほどの話の内容をざっと書かせて頂きます。

少し長文になりますが、ぜひ、最後まで読んで頂きたい内容です。

 

——————————————–

私は秋田出身で津波の恐ろしさを知らなかったのですが、

震災の三日前にも大きな揺れがあり、その時、家族から

「次に大きな揺れがあったら迷わず逃げなさい」

と言われていました。

 

そして3月11日、これまでに感じたことのないような大きな揺れを感じ、

「とにかく逃げなきゃ」

と思ったのですが、家の中の物は沢山倒れているし、子供を抱えなきゃいけないので、

やっと「携帯電話とおむつ4枚だけ」を持って家を出ました。

その時には「またここに戻ってくる」という気持ちでした。

 

避難場所の高台に着いたあと、防災無線で「津波が来るので避難してください」

という放送がありましたが「津波と言っても防波堤もあるし、どんなものか」

と気持ちに余裕を持って海岸を眺めていると、どんどん海岸の方から土ぼこりが

発生して、えっ?と思っている間に家がどんどん動き始めて、電信柱が倒れてきて。

 

どんどん家が流されて、ホントに映画の中の世界みたいで、ぼうぜんと立ち尽くして・・・

 

町全部が流されて、夢も、希望も、折角みんなが作ってきた町が全部

流されてしまって。ホントに怖くて怖くて。足が震えてしまって。

 

でも、唯一自分が頑張ったのは、子供にこの景色を見せたくないし、

恐怖を与えたくない。

できれば覚えていてほしくないという気持ちで、津波を見せないようにして

「大丈夫だよ、大丈夫だよ」とずっと声をかけていました。

 

(このあと、ご主人と合流し、その夜は赤ちゃんがいるので毛布一枚だけを

借りることができ、何とか赤ちゃんを寒くないように二人で温めていたことや、

夜中じゅう、身内を探す人がひっきりなしに避難場所に来て「うちのオヤジを知らない?」

「来るとしたらここしかないんだけど・・・」など話しかけられたりしたことなど

当日の大変な状況を説明されました。)

 

2か月後、仮設住宅に入れました。子供がいるので、早い段階で入れたのですが、

水が出ない、車も流されて出かけることもできない、買い物する場所もない、

子供は1歳になっていたけど、外はにおいが強いし、瓦礫と粉塵だらけで

とても子供を遊ばせられないので、仮設住宅の中に引きこもり状態になって、

子供もストレスで一日中泣き続けたりして、自分にも無力感を感じ、

将来にも不安を感じ、絶望的な日々を送りました。

 

そして震災の1年後、大勢のボランティアの方と出会い、

「大変だったね」「頑張ってね」

と皆から声をかけられ、まったく知らない他人の声が、

なんてありがたいんだろう、と思いました。

 

 

・・・今、震災を通して、「日々生活をすること」に、すごく感謝できるようになったんです。

まず、家族みんなが一緒にいられること。

そして、温かいご飯が食べられ、温かい布団で眠れて、

夫婦げんかができて、子供がかわいくて、前向きに明日のことを考えたり、

夢が持てたり、当たり前に明日が来ることとか、沢山の人に出会えたことが

すごくありがたいんだなと気づかされて・・・。

皆に励まされて、今、過ごさせていただいています。

 

仮設に入ったときは、ただただ「生きることはすごく難しい」と感じたけど、

でもやっぱり、生きてるってことは素晴らしい。

たぶん、みんながギリギリで生かされたと思うんです。

折角生かされた命なので、この街のために何かしたいと思い、

この仕事をさせて頂いています。

 

皆さんも、今日例えば家に帰ったら、お父さんやお母さん、ご家族の方に、

ぜひ「ありがとう」って伝えて欲しいんです。

自分の大切な人を、もっともっと大切にして欲しい。

この街には「それがもうできないよ」っていう方が沢山いらっしゃるので・・・

そのことを忘れずに、少しでもこの街に思いを寄せてくれればありがたいなって思います。

 

(質問)他の地域の皆さんに伝えたいことは?

 

とにかく簡単なことかもしれませんが、津波や地震があったら、まずは逃げてほしいということです。

というのも、逃げずに亡くなっている方が沢山いらっしゃったんです。

皆さん「まさかここまでは」という思いがすごくあったんですね。特に陸のほうの方は。

海の近くの方はまだ海が見えるので、逃げたんですが、陸のほうの方は海が見えないので。

でも、どこの地域にいても起こりうることなんです。

 

もう一つは、家族を大切にしてほしいと思います。

家族がいて、ごはんが食べれて、明日が来て、というのは決してあたりまえではないので。

 

うちは家族で亡くなった人がいなかったのですが、事前に家族で打ち合わせをしていたという

のもあるんです。家族で「こういう時はこういうことをしよう」と話をしていました。

そして、何かあったときは、とにかく逃げてほしい。

当たり前のことですが、意外とできていなかったんです。

 

これだけの被害があっても、生きていればやり直せるんです。

家も何とかなる。でも、家族は戻ってこないので…

——————————————–

 

以上のような内容です。

 

この話を聞かせて頂けただけでも、現地に行ってよかった、と思います。

日常生活の中では「今ある幸せ」に気付きにくいかも知れませんが、

年末年始、大切な方と過ごされる皆様も多いと思います。

その前に、工藤さんの重みのある話を聞いて頂きたいと思い、

長文になりましたが、この場をお借りして記載させて頂きました。

 

私も、日々の生活や目の前のことに振り回されるだけでなく、

大切なことを見失わない日々を過ごせたらと思いますが・・・

なかなか、修行が足りません。

 

来年も頑張りますので、宜しくお願い申し上げます。

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